shisaku

〜自在にたゆたい、連綿と続く〜

読書哲学

最近は以前と比べると読書にそれほど多くの時間を割けているわけでもないが、そうは言ってもこれまで大半の人より読書をしてきたという自負はある。小学生の頃から一日でハリーポッター1冊を読みきってしまうほどの読書家ではあった。中学の時には英語力はまだ拙いながらもハリーポッターの洋書を全巻買ってもらい読みきったこともあったし、高校の時には知り合いのケンブリッジの先生から借りたロードオブザリングを次会う時までに読み終えると決めて数週間で読み終えたこともあった。読書に没頭している時の感覚を一言で表すなら、海の奥深くにひとり静かに潜っていくような感覚と言えるだろう。こうしてそれなりに本が身近にある生活を送ってきた人間として、ここで一度自分なりの読書のスタイルや読書への向き合い方について振り返りたいと思う。

 

<読書のスタイル>

私が思うに読書のスタイルは大別すると二つある。一つは1冊に集中して読みきるまでは他の本には触れないスタイル、もう一つは複数冊並行して読み進めるスタイルだ。結論から言うと私は後者であり、主に3冊を並行して読み進めることが多い。こう言うと、複数冊も同時に読み進めると頭がこんがらがらないかと聞かれる(私はいつもこんがらないかこんがらがらないかどっちだかこんがらがる)。しかし、3冊と言っても闇雲に選定してジャンルもめちゃくちゃに読んでいるわけではなく、これにはしっかりとしたこだわりがある。この3冊というのはジャンル分けの数に起因している。

 

  1. 古典・歴史・自伝・哲学・思想系(思考を学ぶ、薫陶を受ける)
  2. ノンフィクション(知識を得る、見識を深める)
  3. フィクション(情緒を揺さぶる、想像を掻き立てる)

 

それぞれのジャンルごとに読書の目的を分けて考えている。

実際に今私が読んでいる本を例にとると、自伝=Physics and Beyond (Werner Heisenberg)、ノンフィクション=A Thousand Brains (Jeff Hawkins)、フィクション=The Remains of the Day (Kazuo Ishiguro)といった具合である。思うに、このジャンル棲み分け並行読書法(今勝手にそう命名した)のメリットは二つある。一つはその時々の自分の気分や求めているものによって読み分けることができるということ、そしてもう一つは並行思考によるセレンディピティを得られることである。セレンディピティとは、ふとした瞬間の思いがけない発見や繋がりのことである。三つの全く異なるジャンルから選んだ一見バラバラのテーマを同時に読み進めるうちに多方位に点が散りばめられる。スティーブ・ジョブズのかの有名なスピーチから拝借すると、あとで振り返った時にそれらのドットがふと繋がる電撃のような瞬間、それをセレンディピティと呼ぶのだろう。そしてそのセレンディピティを誘発するのがこのジャンル棲み分け並行読書法だ(2回目)。実際そんな頻繁に起こることでもないが、一定期間同時並行で全然違うジャンルのことを考えていると、ふとした時にそれらがつながって面白いアイデアが生まれるということを過去に何度も経験している。人それぞれスタイルはあるとは思うが、是非一度試してみてこの感覚を味わって欲しい。

 

<読書への向き合い方>

読書とは著者から読者へと情報が流れ込む単なる一方通行の行為ではない。むしろ読書とは、極めてインテラアクティブな営みである。読書という行為を一言で簡単に表すならば、著者との対話、もしくは自分が経験し得ないストーリーの追体験と言えるだろう。時には著者のジャブに対してカウンターを合わせることだってある。これは納得できる、これはいかがなものか、と自己を投影しながら対話的に読み進める積極的かつ双方向な営みこそ読書の真髄なのではなかろうか。

 

いざ読み終えて本を閉じたら次に何をするか。

読書を経て広がった世界を、「面白かった、感動した、刺激的だった」という陳腐な言葉だけで収斂させてしまうのはやはり避けたい。面白かったという言葉一つをとっても様々な色があるはずだ。共感できたから面白かったのか、それとも自分には全く理解できなくて面白かったのか、この二つは同じ面白いという形容を取りながらもまるで違う。それを同じ言葉で十把一絡げに束ねてしまうのはあまりにももったいない。ゆっくりと時間をかけてその差異に丁寧に向き合い、その微細な差異を言葉で綺麗にすくってあげることでより確かな輪郭を持った理解へと繋がる。逆にその意味で、思索が未熟な段階における言語化という収束へと向かう行為は、細分化された感情の一部を捨象し取りこぼしかねない危険性をも孕んでいる。時には、言葉にできない、もっと言えば言葉にするべきではないことだってある(そもそも言葉にできない高尚な次元を映し出すホログラフィーが諸芸術や作品であることを考えると、それを並の人間が事細かに言語化しようとすること自体が愚かであり高慢なのかもしれない)。かの有名な哲学者Ludwig Wittgensteinが『論理哲学論考』で残した”Whereof one cannot speak, thereof one must be silent.”という言葉からもそれは窺い知れる。しかし、人が言語化できる範疇には限界があるという事実も認めながらも、自らの持ち合わせる手札を切って可能な限り言葉にする努力はやはり怠るべきではないだろう。そしてこれを記録として残しておくことにはもっと価値がある。またいつか数年後に同じ本を読み返した時には全く違うことを感じているかもしれない。わからなかったことが時を経てわかるようになっているかもしれないし、逆にわかっていたことがわからなくなっているかもしれない。その時にこの記録を読み返して、当時の自分はこんな感性を持っていたのかと振り返ることで、過去の自分から学ぶことだってあるだろう。人は一見歳を重ねるごとに直線的に成長していくはずだと思いがちだが、こと感性に関して言えばそんなことはないのではないかと思う。その意味で本とは人の写し鏡であり、またある種の物差しなのではなかろうか。

 

追記:一度自分が読んできた本を整理したくてReading listを作ってみた。ここ最近読んだ本は大方リストアップしたように思う。Reading listはその人をそれなりに良い近似で映し出しているという所感がある。人の本棚を覗くのが割と好きな方なので、あわよくば会話の種になることを願ってリストアップしておく。

 

<Reading list>

古典・歴史・自伝・哲学・思想系(思考を学ぶ、薫陶を受ける)

・思考の整理学(外山滋比古

・やわらかく、考える。(外山滋比古

・こうやって、考える。(外山滋比古

・乱読のセレンディピティ外山滋比古

・探求する精神(大栗博司)

・物理学者のすごい思考法(橋本幸士)

・職業としての小説家(村上春樹

・世界のエリートが学んでいる哲学宗教の授業(佐藤優

論理哲学論考ウィトゲンシュタイン

方法序説デカルト

存在と時間ハイデガー

・mindset (Carol S Dweck)

・Surely You’re Joking Mr. Feynman (Richard Feynman)

・Physics and Beyond (Werner Heisenberg)

 

ノンフィクション(知識を得る、見識を深める)

・重力とは何か(大栗博司)

・強い力と弱い力(大栗博司)

・初めての<超弦理論>(川合光)

・英語の発想、日本語の発想(外山滋比古

・日本語の個性(外山滋比古

・進化しすぎた脳(池谷裕二

・脳はこんなに悩ましい(池谷裕二中村うさぎ

・生物と無生物の間(福岡伸一

利己的な遺伝子リチャード・ドーキンス

・The Language Instinct (Steven Pinker)

・Homo Deus (Yuval Noah Harari)

・FACTFULLNESS (Hans Rosling)

・Six Easy Pieces (Richard Feynman)

・Einstein’s Fridge (Paul Sen)

・A Thousand Brains (Jeff Hawkins)

・I Will Teach You to be Rich (Ramit Sethi)

・The Simple Path to Wealth (JL Collins)

 

フィクション(情緒を揺さぶる、想像を掻き立てる)

・火花(又吉直樹

谷川俊太郎詩集(谷川俊太郎

ノルウェイの森村上春樹

・ダンスダンスダンス(村上春樹

スプートニクの恋人村上春樹

コンビニ人間村田沙耶香

人間失格太宰治

・A Wrinkle in Time (Madeleine L’engle)

1984 (George Orwell)

Fahrenheit 451 (Ray Bradbury)

・The Remains of the Day (Kazuo Ishiguro)

・A Study In Scarlet (Arthur Conan Doyle)

・The Great Gatsby (F. Scott Fitzgerald)